軽水 ++




 「悟空さおはようっ!待っててな、すぐ朝ごはんできるからなっ!」
孫家の朝はこの声からはじまる。悟空は目が覚めると、ぼんやりとしたままふらりふらりと何かに誘われるように キッチンへと現れる。
そして妻のこの声によってやっと意識がはっきりとするのだ。
 しかし今日は違った。キッチンへと足を踏み入れた瞬間、彼はすぐさま目が覚めた。 いつものチチじゃない…。
彼の頭に不安がよぎった。しかし、キッチンに立つその後姿はいつもとかわらないものだった。
確かになにかがちがう。いったい何が? しかたなしに、悟空は座って彼女を観察することにした。
「悟空さ、朝ごはんできたべっ!」
まもなくして、チチはキッチンから大量の料理を抱えてきた。 皿をテーブルに並び終えると、自分の向かい側に座るチチ。その顔色を見ると、心なしか、 少し青ざめているようにも見える。
目の前にはよだれが出るほどのいつもの美味しそうな料理。今すぐにでもこれを食べたい。 しかし、悟空にはチチのことが気になってしかたなかった。


 一向に料理に手をつけようとしない悟空。しかも自分を観察するようにじっと見ている。
さすがのチチも夫のいつもと違う態度にとまどいを感じていた。
「…どうした悟空さ、食わねぇのか?」
料理冷めちまうぞ、と続けようとしたその時
「…チチ、おめ病気か?」
悟空の言葉にチチは驚いた。
「病気?別に病気じゃねぇけど…なんで?」
不思議そうな顔で悟空に尋ねる。
「だっておめぇ…なんか顔色わるいし…。」
それに…と悟空は言葉を続ける。
「おめぇ…いつもと においが違う。」
それを聞いて、チチは心臓が飛び出るかと思った。


 心当たりがあったから――…。






 実は今朝、チチは下腹部に鈍い痛みを感じ、目が覚めた。
まさかと思い、トイレに駆け込むと予感が的中。しかし、前回よりも2ヶ月ほどもたっていたため すっかり忘れていた。
きっと結婚したばかりの興奮で 遅れたんだべな…。
久しぶりなので痛みも強いが 耐えられる。これまで何年もこの痛みと戦ってきたのだから。
小さくため息をつくと、チチはそのまま朝食の準備へと取り掛かったのだった。


 悟空のことだから この自然現象もきっと知らないだろうと思っていたのに。
まさか”におい”でばれてしまうとは。そういえば悟空はすこぶる鼻がいい。 においだけで誰が来るのかがわかるという。
みるみる顔が赤くなるチチ。
「どうした?やっぱりどっか悪いんか?」
妻の態度の変化に 少し不安そうな顔をする悟空。
チチはこれについて言うべきかどうか戸惑ったが、悟空は自分の夫なのだから 言っておかなければならないと思った。
 「悟空さ…別におら病気じゃねぇだよ。」
「病気じゃねぇなら なんなんだ?」
「あの…女しかならねぇ…モンだべ。」
少し視線を落として答えるチチ。内気な彼女にはこれが精一杯だった。
「女にしかなんねぇ…?」
首をかしげる悟空。
「あのな、赤ちゃんが出来るために必要なことなんだべよ。」
顔を赤らめながらそう答えるが、悟空はどうも納得しない。
「何がおきるんだ?」
そんなことを聞かれても…。
「(な、なんて説明すりゃいいんだべっっ!!)」
何が起きているかはわかっているが、それを口で説明することは自分にはとうていできない。 頭から湯気がでそうなほど顔を真っ赤にしてうつむくチチ。
悟空はそれをしばらく見つめていた。


 「ま、いいけどさ。」
その言葉にチチは え?と顔を上げた。
「とにかく病気じゃねぇんだろ?じゃあいいや。」
ニカカと笑ってみせる悟空。チチは突然追求をやめた悟空を不思議に思ったが、内心ほっとした。
「それって具合とか悪くなるんだろ?大丈夫なんか?」
「んだ。もう慣れたべ。」
慣れた。それを聞いて、そっか。と納得する悟空。
「そういや飯まだだった!オラはらへったぞ。」
食事を思い出したように悟空が言った。じゃあ食べろ と言うと いただきまーすっと手を合わせ、ガツガツと食べはじめる。
それを嬉しそうに見つめるチチ。


 悟空がこんなにも、自分の身の心配をしてくれるなんて。
チチは幸せで一杯だった。 自分のささいな変化に悟空は気付いてくれた。それがとにかく嬉しい。
嬉しくて、嬉しすぎて、顔のにやけが止まらない。 まだ赤い顔をゆるめながら、チチはこんなことを考えていた。





…たまには生理も わるくないべな。







<fin>








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